過去に引っかかるのが人間である

クリニック建設予定地は、実家の土地です。今回その土地を更地にする必要があり、その過程で、工場や石垣、レンガ塀を壊してしまいました。そのことについて、少し書きます。

実家は、鶏肉を取り扱う仕事をしていましたので、そこには食肉工場が建っていました。その前は・・と言いますと、太平洋戦争前の話では公証役場があったそうです。太平洋戦争後には分譲されて、お隣の家、尺八師範の家、そして太田医院という病院がありました。実は太田医院のお家を改築して、現在の実家になっており、はっきりわかっている期間でも75年は経っている建物です。

我が家は、縁があって約45年前に転居したのですが、その頃すでに庭には長さ40mの巨大なレンガ塀と立派な石垣があり、土地の真ん中には大きな柿の木が立っていました。おそらく公証役場のレンガ塀と石垣だったのだと思います。

私が育ち、学校に行く時も、帰ってきた時も、夏の暑い日も、雪の降る寒い日も、レンガ塀と石垣がそこにありました。父が苦労して工場を建てる時にも、レンガ塀や石垣は残してきました。私もレンガ塀や石垣は残したかったのですが、それぞれの理由で撤去せざるを得ませんでした。

古いレンガ塀は、組積造でした。現在の建築基準法では1.2m以下でなければいけませんし、それ以上であれば鉄筋、鉄骨又は鉄筋コンクリートによつて補強されていなければなりません。合致しない塀のある土地には新築建造物は建てられないのです。そのため古くて味わいのあるレンガだったのですが、撤去することにしました。

石垣も検討をしました。この場所は、クリニックでは駐車場になります。もし石垣を残せば、駐車場の出入り口が大変狭くなります。目の前の南小路交差点は非常に交通量が多く、信号待ちの自動車がいつも並んでいます。クリニックから患者さんが出て行く時、石垣は見通しを悪くします。交通事故が起こってもおかしくありません。そのために撤去する決断をしました。

それぞれに理由はあるのですが、無くなってしまうと、心にポカンと穴が開く感じがします。ニーチェが忘却について書いている一節を読むと、「そうなのだなあ」と思う今日この頃です。

「しかし、人間がわれながらおかしいと思うことがある。
それは人間というものが忘却を習得できず、四六時中、過去に引っかかっていることだ。
どれだけ先へ走ってみても、どれだけ早く走ってみても、鎖も一緒にくっついて走ってくる。
これはたしかに不思議だ。
忽然としてあらわれ、忽然として去る瞬間、寸刻前には無であり、寸刻後も無である瞬間が、幽霊のようにふたたびやって来て、のちの瞬間の平静をかきみだすということは。
たえず時の巻物から一葉また一葉と離れ、落ち来り、ひるがえり去る、かと思うと、とつぜん舞いもどってきて、人間の胸にくいいる。
そのとき、人間は言うのだ、「僕は想い出す」と。」