自粛期間における癒しのひととき−2

コロナ禍の自粛期間に、私が癒された出来事を、「徒然なるままに」したためています。

6月は、太陽の位置は高くなり、天気は曇りと雨が交互にみられるようになっていました。コロナの圧迫感にに加え、空気のじめじめ感が一層ストレスでした。

曇天の中、お日様が顔を出していたその日は、私たちはドライブで多久を通りました。多久聖廟の看板を眺めて「この辺りは、立ち寄っても人混みを避けられるのでは?」と思いつき、ハンドルを切って駐車場へ。自動車が数台ある程度で、少なくとも3蜜ではない様子。

降りてみると、何気に「聖光寺の二千年蓮」の看板。

この蓮は、1951年4月千葉県の遺跡から出土した二千年前の蓮のため、「二千年蓮」というらしい。大賀博士によって島根県太田市で二千年の時を超え発芽したということで「大賀ハス」とも言われているそうです。

古代遺跡から発掘された米や蕎麦が、現代に蘇る記事は読んでいました。「蓮も時を越えるのだな〜」と感慨深い。

2002年聖光寺の御住職が、荒神谷遺跡公園から蓮子を譲り受けて、この池で栽培されており、今回拝見することができました。

売店から外れて土道を進んだところに、蓮池がありました。「お〜」、雰囲気は里山でした。初夏の日射しで草の緑が目に眩しく、沢の水音は耳に心地よく。

それまで暑かった気温が、数度下がった感じでした。

蓮の花は早朝に花を広げます。訪れたのが14時頃でしたので、蓮の葉の中には閉じた薄ピンクの花が見ることができました。それにしても優しい色のピンクです。現代の花屋さん並んでいる鮮やかな色とは違い、原始的というか、簡素に感じる色でした。お釈迦さんの頃に見られた蓮もこのような色だったのでしょうか。中には、1つ、2つ花を広げた蓮もありました。これらは、そろそろ花弁を落とす蓮だったのでしょう。

蓮は太陽に向かっていっぱいに葉を広げ、池の水面にはアメンボが優雅に浮いていました。

一時の清涼を楽しみ、後ろ髪を引かれながら蓮池を後にしました。自動車に戻るとうだるような暑さで、現実に戻りました。

多久に立ち寄って本当に良かった、そんな日でした。